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先日は北条早雲についての覚書を作ってみたわけですが、本日は齋藤道三についての覚書でも作ってみます。
ところで、現在ではサイトウという場合いくつかの標記があますが代表的な4つについて何が違うんだろう?というそもそもの疑問があり、ちょっと調べてみた。

斎藤と斉藤(齋藤と齊藤)は別の字

「斎(齋)」は「サイ・シ/ものいむ・つつしむ」と読み、「齊の省文と示とに従う」もので、「祭卓の前に奉仕する齋女の意を示す」。
「斉(齊)」は「セイ・シ・サイ/ととのう・ひとしい・つつむ」と読み、その形は、「祭祀に奉仕するときの婦人の髪飾り」である。
以上が白川静の説明である。補記する。
「斎」は、「斎戒沐浴」「書斎」「斎宮(さいぐう・いつきのみや)」などと使われる。
「斉」は「均斉」「一斉」「斉唱」 など、また中国の列国期の国の名称であり「斉東野語」「斉東野人」。いずれも「セイ」と読み、「斉藤」の場合「サイ」と読む。


別な解説を見てみると違うことが書いてあった
「齋藤」「斎藤」「齊藤」「斉藤」“サイトウ”姓がこんなにある理由

「4種類の“サイ”に関して、原初は“齋”だと考えられています。それが簡単な字で誤用されてしまったものが“齊藤”。そして戦後、それまでの漢字を簡略化した“新字体”が作られました。その2種の新字体がそれぞれ“斎藤”と、“斉藤”なんです」(系譜・古代史について研究しているHP“古樹紀之房間”主宰者・樹童さん)

齋藤(旧)→斎藤(新)、齊藤(旧)→斉藤(新)で、4種類ってことですね。

「また“藤”に関してですが、“○藤”姓は、平安時代の貴族・藤原氏が、職名や地名に“藤”を足してできたといわれています。“斎藤”は、伊勢神宮の役職“斎宮頭”+“藤”=“斎藤”なんですね」
(同)


んー、、、文字一つとってもよくわからないものです ( *´艸`)クスクス

と、いきなり余談から始まったわけですが、本題の齋藤道三についての資料を集めてみましょう。

Dsan_Saito.jpg

通説
故・司馬遼太郎氏の「国盗り物語」(全四巻)でも有名な話ですね。
この小説自体は、ほんと単純に言うと「道三から信長への思想の継承」のような立場で纏め上げられています。
簡単に通説をまとめてくれてる斉藤道三〔1〕からの引用(短いので全文)

 「美濃のまむし」斉藤道三というより、はるかに、まむしの道三の方が通がよい位、恐ろしい男であった。
 戦国大名として、これ位謎の多い人物も少ない。
 一使いの油売りから澪起こし、美濃一国の主となり、娘を織田信長の室にし、天下にその名を「まむし」と呼ばせても、残酷無情、権力欲、野望のためなら何でもやる、一種異様な人物である。

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 一介の油売りからというと、大変身分の低い事になるが、けっしてそうではない。
 祖先代々御所を譲る、北面の武士であるが、父松波左近将監基宗は、故あって山城国乙訓郡西岡に住でいる時、道三は生れた。
 顔立ちのよい利口な少年であった。11歳の時京都日蓮宗妙覚寺には入り、法蓮坊と呼ばれ、兄弟々子に南陽房〔後の日蓮上人〕は美濃国守護土岐家の重臣、永井利隆の弟である。
 道三には寺の生活は性に合わず、読経なんかより先ず金であった。
 寺を飛び出し、生れ故郷の西岡に戻り、油商奈良谷の養子となり娘と夫婦、名を山崎屋庄九郎〔庄五郎〕と改め、油の行商をした。
 油行商で各国を巡り、販売にも才覚をあらわし、曲芸まがいの事をして、人を集めて多いに売りまくった。
 四角のヒシャクで油〔灯油〕を汲み、ジョーゴを使わないで、一文銭の穴から壺に入れる。油一滴も、一文銭の穴に付かない、その曲芸を見たくて、買人が列をなしたという。
 その美事な芸を見た武士が「これ程の芸を武芸に打込んだなら、立派な武芸者に成れる」と賞賛したからたまらない。 
 道三は、油売等投げ出して、それからは毎日一文銭の穴を的に、長柄の槍で突く練習を一所懸命に励み、相当の腕になったので、件の武士と、寺で知り合った日蓮上人に頼み、守護代長井長弘に仕える事になった。武士となった道三は、長弘の家臣西村氏の名跡をついで、西村勘九郎正利と改名、めきめきと「美濃のまむし」の本領を発揮して行く事になる。



近年の研究成果
通説では道三一代で美濃(現岐阜県)を奪い取ったとされてきたが、どうやら親子二代での成果だったという説が説得力もあり有力視されている。
以下は、wikipediaの斎藤道三よりの引用となります

1960年代に始まった『岐阜県史』編纂の過程で大きく人物像は転換した。編纂において「春日倬一郎氏所蔵文書」(後に「春日力氏所蔵文書」)の中から永禄3年(1560年)7月付けの「六角承禎書写」が発見された。この文書は近江守護六角義賢(承禎)が家臣である平井氏・蒲生氏らに宛てたもので、前欠であるが次の内容を持つ。
1.斎藤治部(義龍)祖父の新左衛門尉は、京都妙覚寺の僧侶であった。
2.新左衛門尉は西村と名乗り、美濃へ来て長井弥二郎に仕えた。
3.新左衛門尉は次第に頭角を現し、長井の名字を称するようになった。
4.義龍父の左近大夫(道三)の代になると、惣領を討ち殺し、諸職を奪い取って、斎藤の名字を名乗った。
5.道三と義龍は義絶し、義龍は父の首を取った。

同文書の発見により、従来、道三一代のものと見られていたいわゆる「国盗り物語」は、新左衛門尉と道三の二代にわたるものである可能性が非常に高くなった。父の新左衛門尉と見られる名が古文書からも検出されており、大永6年(1526年)6月付け「東大寺定使下向注文」(『筒井寛聖氏所蔵文書』所収)および大永8年2月19日付「幕府奉行人奉書案」(『秋田藩採集古文書』所収)に「長井新左衛門尉」の名が見えている。一方、道三の史料上の初出は天文2年(1533年)6月付け文書に見える「藤原規秀」であり、同年11月26日付の長井景弘・長井規秀連署状にもその名が見える。


また次のような記述もある

大永年間の文書に見える「長井新左衛門尉」が道三の父と同一人物であれば、既に父の代に長井氏として活動していたことになる。さらに、天文2年の文書に藤原(長井)規秀の名が見え始めることから、道三が父から家督を相続したのはこの頃と推定されている[7]。 また公卿三条西実隆の日記にはこの年、道三の父が死去したとある。同年11月26日付の文書(岐阜県郡上市の長瀧寺蔵、岐阜市歴史博物館寄託)では、長井景弘との連署であり、道三が長井長弘殺害の際に長井氏の家名を乗っ取り、長弘の子孫に相続を許さなかったとする所伝を否定するものである。また、長井長弘の署名を持つ禁制文書が享禄3年3月付けで発給されており、少なくとも享禄3年正月の長弘殺害は誤伝であることがわかっている。しかし、この文書の後にほどなく景弘は死んだと考えられる。翌、天文3年9月付の文書(『華厳寺文書』「藤原規秀禁制」)では道三の単独による署名(つまり長井宗家を継承)があるためである。それ以降、景弘の名がどの文献からも見あたらないことから道三が景弘を殺害(もしくは急死)したと推定される。道三が殺害したどうかはともかく、道三は長井宗家の名跡を手に入れていれたとされる。



斎藤 道三[利政/秀龍](さいとう どうさん[としまさ/ひでたつ])は、戦国時代の武将。美濃の戦国大名。斎藤氏初代当主。

名としては、法蓮房・松波庄五郎(庄九郎)・西村正利(勘九郎)・長井規秀(新九郎)・長井秀龍(新九郎)・斎藤利政(新九郎)・道三などが伝わるが、良質な史料に現れているのは、藤原(長井)規秀・斎藤利政・道三などのみである。また、「秀龍」は、「龍」の字が息子たちの名前にも用いられていることからもこの諱を名乗っていたと考えられるが、その「秀」の字は六角義秀からの偏諱であるとされている。


ここで、ねおちがちょっと気になるのが道三と六角氏との関係です。
なぜかというと、WIKIの記述どおり「「秀」の字は六角義秀からの偏諱である」とするとここに道三または道三の父と六角氏との間に上下関係が成立していた事が伺えるからです。

偏諱授与の風習

偏諱(へんき)は避けるだけではなく、貴人から臣下への恩恵の付与として偏諱を与える例が、鎌倉時代から江戸時代にかけて非常に多く見られる。

初めは将軍宗尊親王から北条時宗への偏諱など、下の字につく場合もままあったが、時代が下るにつれて主君へのはばかりから偏諱は受ける側の上の字となる場合がほとんどとなった。

室町時代には重臣の嫡子などの元服に際して烏帽子親となった主君が、特別な恩恵として自身の偏諱を与えることが広く見られるようになった(一字拝領ともいう)。特に足利将軍の一字を拝領することはよく見られ、畠山満家や細川勝元などの守護大名から赤松満政のような近臣にも与えられた。従って、武家において偏諱を授けるということは直接的な主従関係の証となるものであり、主君が自分の家臣に仕えている陪臣に偏諱を授けることが出来なかった。有馬義純が少弐氏との被官関係を残したまま、将軍足利義晴から偏諱を授与されたことが後日問題となった例がある(『大舘常興日記』天文8年7月8日・同9年2月8日両条)。一方で公家でも近衛家・九条家・二条家のように将軍から偏諱を受ける家も現れた。また、室町時代には将軍・足利義政が異母兄(長幼の序の考え方でみるなら上の立場)にあたる足利政知に与えるといったような異例もある。

戦国時代には外交手段として一字を貰い受けることもあった(長宗我部親など)。安土桃山時代には、豊臣秀吉が積極的に大名の子息に「秀」の字を与えている。徳川忠、毛利元、伊達宗、結城康などがそうである。


武家家伝_六角氏

六角氏は近江源氏として名高い佐々木氏の嫡流である。佐々木氏は宇多天皇の皇子敦実親王が子の源雅信の子扶義を養子とし、その扶義の子成頼が近江国蒲生郡佐々木庄に居住し、佐々木氏を称したのが始まりといわれる。
 しかし、佐々木庄には大彦命の後裔といわれる佐々木貴山氏という古くからの豪族もあり、両者の間には錯綜したところがあって、確実なところは分からないというのが実情である。



道三の主筋に当たる土岐氏について

土岐氏(ときし)は、鎌倉時代から江戸時代にかけて栄えた武家。本姓は源氏。清和天皇を祖とする清和源氏の一流である摂津源氏の流れを汲む美濃源氏の嫡流として美濃国を中心に栄えた。室町時代から戦国時代にかけて侍所として五職家の一角を占めるとともに美濃国守護を務め、最盛期には美濃、尾張、伊勢の3ヶ国の守護大名となった。

土岐氏は美濃国のみならず常陸、上総など関東に点在した他、美濃国内には妻木氏、明智氏、土井氏、金森氏、蜂屋氏、肥田氏、乾氏、青木氏、原氏、浅野氏、深沢氏、饗庭氏、萩原氏など多くの庶流が輩出された。

家紋は水色桔梗紋で、白黒紋でなく彩色紋として知られる。土岐光衡が戦争で桔梗花を兜に挟んで戦ったのを記念して、家紋としたのが始まりである。「土岐桔梗」と呼ばれている。旗紋としては水色地に白抜きの桔梗紋が使われた。


この様にどちらも由緒ある源氏の家系であり北面の武士の家系とは言え浪人した一介の元武士が家臣団に食い込んで行く為には何らかの後ろ盾があったのではないか?と勘ぐってみるわけです。そこで思うに道三の父、松浪元宗が土岐氏の家臣団の長井氏に入り込んだ経緯として近江六角氏の紹介のような物があったのではないだろうか?
また「武家において偏諱を授けるということは直接的な主従関係の証となるものであり、主君が自分の家臣に仕えている陪臣に偏諱を授けることが出来なかった」という不文律があり、道三の父・松浪元宗と六角氏との間に直接の主従関係があったのか?という疑問も残る。他家の家臣団の嫡子?道三が元服した際(長井秀龍とあるので長井姓の頃すでに一字拝領していた)に?六角義秀の秀の文字を一字拝領し秀龍と名乗ったとなると何か異様な感じがしてしまいます

楽市楽座について、歴史の授業では単純に信長が行った経済政策と教えられましたが、実は違います。

天文18年(1549年)に近江国の六角定頼が、居城である観音寺城の城下町石寺に楽市令を布いたのが初見とされる。[1]また、今川氏真の富士大宮楽市も早いとされ、安野眞幸の分析では翌年の織田氏など以後の大名による楽市令などに影響を与えたとしている[2]。

織田信長は、自分自身が美濃国・加納、近江国・安土、近江国・金森に楽市・楽座令を布いただけでなく支配下の諸大名に伝達され、各城下町で実施された。

なお、制札(法令の発布)として、楽市および、楽市楽座の語句が確認できるのは、織田信長が初見であり、六角氏や今川氏は文書上で楽市の語句(楽座および楽市楽座の語句はなし)が確認できるのみであり、制札は発見されていない。


美濃に楽市・楽座を最初に取り入れたのは道三だが制度として最初に実施したのは六角氏であるらしい。ここでも道三の背後に六角氏が見え隠れしてる気がしてしまいますね。

参考資料
斎藤家 と 斎藤道三
日本史人物列伝
斉藤道三
斉藤道三 楽市楽座を作ったのはこの人
楽市・楽座
斉藤道三〔1〕
斉藤道三  美濃の国盗りを成した美濃のマムシ
斎藤道三

土岐氏
武家家伝_六角氏

斎藤と斉藤(齋藤と齊藤)は別の字
「齋藤」「斎藤」「齊藤」「斉藤」“サイトウ”姓がこんなにある理由

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Author:ねおち

北海道帯広市出身
愛知県岡崎市在住


【略歴】
北海道帯広柏葉高等学校卒業
空手家

水商売からCocktail&PastaのBar経営を経てプログラマーへ転身
現在は年中夢求


趣味:PCいじり、読書(主に歴史関係)

錬心舘空手初段、銃剣道初段



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