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数年前に買った本でいまだに何度も読み返しているものがいくつもある。
その中の一つで「古代史の秘密を握る人たち」(関裕二著、PHP研究所刊)というものがある。
これは、電車に乗る間の時間つぶしにしようと思ってコンビニでなんとなく手にとった本なのだが、通説とは異なる視点から展開されていてなかなか面白い。
歴史に興味のある人なら目次のタイトルだけでもどんな内容なのか気になるところなのではないだろうか?

目次
第一章 古代史の秘密を握る人たち
・祟って出ていた蘇我入鹿
・古代史のすべての秘密を握る藤原不比等
・天皇家以前のヤマトの王・ニギハヤヒ
・独裁権力と戦った葛城氏
・日本的な改革事業を目指した聖徳太子
・中臣鎌足は百済からの渡来人だった
・日本のラスプーチン、道鏡

第二章 異色の天皇列伝
・二人いたハツクニシラス天皇
・独裁権力を欲した雄略天皇
・謎に満ちた継体天皇
・骨肉の争いを演じた天智天皇と天武天皇
・鬼の帝・聖武天皇

第三章 時代の転機に出現した女傑たち

・・・

その中で今回の内容は、第一章の「中臣鎌足は百済からの渡来人だった」について。
この件で他のサイトでもエントリーがあったので引用してみよう

藤原鎌足は百済王子の豊璋? 関裕二説

(前略)
<鎌足説:関裕二「古代史の秘密を握る人たち」より>
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=193608引用
 中臣鎌足の謎は、歴史に唐突に現われ、しかも、白村江の大戦のさなか、中大兄皇子の前から忽然と姿をくらましたことだ。
1)白村江の戦いは、百済復興しようと唐と新羅の連合軍と戦火を交えた、いわば中大兄皇子の一大事。天皇家と百済は密接につながっており、民衆の反発を強行しての無謀な遠征でもあった。その一大事に乙巳の変以来の右腕である中臣鎌足が姿をくらまし、敗戦後、ひょっこり再登場する。いったい、この男はどこで何をしていたのか?

2)「日本書記」をひも解けば、中臣鎌足出現の直前、百済皇子・豊璋は631年に人質として来日、660年に百済がいったん滅亡したのち、王朝復興の気運の高まりの中で、百済から呼び戻され擁立される。そして、白村江の戦いで百済王朝は滅亡、豊璋も行方をくらましてしまう。豊璋が百済に舞い戻っていたちょうどそのとき、中臣鎌足が「透明人間」になったのははたして偶然なのだろうか

3)冠位「織冠」を与えられたのが鎌足と豊璋のふたりだけだった、という「日本書記」の証言も気になる。

4)また、壬申の乱で百済派(中大兄皇子=天智天皇の息子である大友皇子)が敗北し、新羅派(天武天皇)が王権をとってから、藤原不比等が完全に干されている事実も見逃せない。
中臣鎌足が百済皇子・豊璋であった疑いは強くなるばかりだ。
(後略)
※強調、引用URLへのリンク付けは引用者


img_865583_33776718_0.jpg
白村江の戦い(はくすきのえ、はくそんこう)

このような点から、鎌足=豊璋説が展開されていきます。
奈良県桜井市多武峯(たとうみね)の談山(たんざん)神社に祀られているが、神としてではなく官職名である「織冠(しょっかん=総理大臣みたいなもの)」として祀られている。

FuijiwaranoKamatari.jpg
談山神社の藤原鎌足像

また、奈良周辺に藤原氏関連の寺社で百済寺というものもあり、藤原氏と百済との関連の深さを感じさせる
(注意)聖徳太子が開山とされる百済寺とは別

これに関連して更に面白い話がある

「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々」という国書を隋の煬帝に送ったことでも有名な聖徳太子(日本書紀を含め生前に「聖徳太子」と呼ばれたことは一度もない)が、日本に律令制度を導入しようとした改革事業を引き継ぎ完成させたのは、本当に中大兄皇子と中臣鎌足だったのか疑問であるっていう話。
ちなみに、中大兄皇子は推古天皇34(626)年、推古天皇(=聖徳太子が摂政をしていた)の甥の子にあたる田村皇子(のちの舒明天皇)と母・皇極天皇(斉明天皇)の子である。

疑問を呈する関氏の根拠というのが
・聖徳太子は蘇我系の皇族であった(叔父が蘇我蝦夷)
(同氏別書によると、聖徳太子=蘇我入鹿)
・蘇我氏はそれ以前の百済一辺倒な外交に固執しておらず、百済に固執してたのは中大兄皇子と中臣鎌足だった
(白村江の戦いなどは特に著名)
・中大兄皇子は孝徳天皇と不仲であり、孝徳天皇(=軽皇子、蘇我系)が難波宮で改革事業を進めていた時期には遠く離れた奈良県橿原市付近にある自邸に引きこもっていた
・中大兄皇子が実権を握ったのは母の皇極天皇が重祚(ちょうそ)して斉明天皇となった後のことで、この時に白村江の戦いを引き起こしている
・乙巳の変の後に自分が即位しようとした中大兄皇子を中臣鎌足が「民衆の望むように、軽皇子の即位を認めたほうが得策」と引き止めた
(改革者の蘇我氏を潰したから人気がなかったのでは?という推測。不評を買っていたのは事実)

乙巳の変で暗殺された蘇我入鹿というのは実は聖徳太子であったことになると、本書の内容とはちょっと異なるが改革事業を潰して既得権益を守ろうとしたのは実は中大兄皇子と中臣鎌足だったという説を補強するものになり、藤原氏が祟りがある毎に法隆寺を気にし続けた理由も納得がいく。

kamata02.jpg
談山神社にある多武峰絵巻より
板蓋宮(いたぶきのみや)における暗殺の場。
太刀を振り上げているのが中大兄皇子(後の天智天皇)、弓を手にしているのが中臣鎌足。
奥のほうにいる女性が中大兄皇子の母である皇極天皇。


また、皇極天皇が舒明天皇の后になる前に高向王(=本書では蘇我入鹿と同一人物と見ている)との間に漢皇子(あやのみこ)をもうけているが、漢皇子=大海人皇子=天武天皇だった可能性についても指摘している。
通説では、天武天皇は天智天皇の弟となっているが天武天皇の方が年上だったという異説もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87

そして天武天皇の時代に干されていた藤原不比等(ふひと、=鎌足の息子)が天武天皇崩御の後、強引に即位した持統天皇(=鸕野讚良(うののさらら、うののささら)、天智天皇の娘にあたる)の元で重用されたのも天智天皇(百済系)vs天武天皇(蘇我系)の暗闘が背景にあったと洞察している。

FujiwaraFuhito01.jpg
藤原不比等 出典asahi.com

そもそも正史とされている日本書紀は、作成を命じたのは確かに天武天皇であったが、完成したのは持統天皇が崩御した後のことであり、その中心人物は藤原不比等であったのであるから、父である鎌足の悪行を隠蔽し歴史を捏造改竄した可能性が高いことも指摘している。
そして日本書紀は、天武天皇のためにかいたと言いつつ実は持統天皇のためにかかれたものであると思われるフシがあるのである。


かぐや姫
有名な竹取物語であるが

竹取物語には実在の人物が登場していることも本作品の特徴である。5人の公達のうち、阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂は実在の人物である。また、車持皇子のモデルは藤原不比等[6]、石作皇子のモデルは多治比嶋[7]だっただろうと推定されている。この5人はいずれも壬申の乱の功臣で天武天皇・持統天皇に仕えた人物であることから、奈良時代初期が物語の舞台に設定されたと考えられている。
主人公のかぐや姫も、垂仁天皇妃である迦具夜比売(かぐやひめ、大筒木垂根王の女)との関係や、赫夜姫という漢字が「とよひめ」と読めることから豊受大神との関係について論じられることもある。


豊受大神神功皇后と同一視する説もある

この中でも車持皇子(くらもちのみこ)についてであるが

江戸時代の国文学者・加納諸平は『竹取物語』中のかぐや姫に言い寄る5人の貴公子が、『公卿補任』の文武天皇5年(701年)に記されている公卿にそっくりだと指摘した。しかし物語中の4人の貴公子まではその実在の公卿4人を連想されるものの、5人のうち最も卑劣な人物として描かれる車持皇子は、最後のひとり藤原不比等がまるで似ていないことにも触れている。だが、これは反対であるがゆえに不比等本人ではないかと推測する見方もでき、表向きには言えないがゆえに、車持皇子を「卑怯である」と書くことによって陰に藤原氏への悪口を含ませ、藤原氏を批判しようとする作者の意図がその文章の背後に見えるとする意見もある[8]。



作者は不詳とされているが現在では紀貫之ではないかと言われている。
紀氏考

紀氏は「記紀」上では元々 天道根命又は御食持命を祖とする「神別氏族」である。
宇遅彦命の時、紀国造となりその妹「山下影媛」が8孝元天皇の孫屋主忍男武雄心命の妃となり、その間に「武内宿禰」が産まれたとされている。
この武内宿禰が、宇遅彦の子「宇豆彦」の娘の「宇乃媛」を妃として、紀(木)角宿禰が産まれた。
これが、外家紀氏の姓を嗣いで「皇別氏族」として中央政界で軍事氏族として活躍する「紀氏」となった。
これが紀氏の祖は、武内宿禰であると言われる由縁である。


蘇我氏の開祖である武内宿禰(たけのうちのすくね)を祖としていることから、この紀氏も実は蘇我氏の遠戚にあたるらしい。(異説あり)

蘇我氏関係ではなくとも応天門の変(貞観8年、866年)により平安時代初期に一躍頭角を現したが藤原氏の謀略により失脚し、以後政界から遠ざかり文人の道へと進んだ経緯があり、それがゆえに藤原氏に対して恨みを持っていた可能性があると言われていることも竹取物語の作者と目される一因となっている。

余談
政府の闇(軍産複合体による世襲)
ちょっと政治色の濃い内容なんだけど、藤原氏関係については事実なのでその部分だけ引用しておこう。

明治天皇にしても、西郷隆盛公にしても、先住民的な顔立ちをしているものの、やはり藤原氏の血を引いている事は否定できない。もちろん南朝系だけど。例えば、西郷隆盛公は南朝の忠臣・菊池藤原氏の末裔だし、明治から戦中までの元老・西園寺公望翁は後醍醐天皇の母后や后妃の一族・西園寺藤原家の血筋だし、大正天皇の后妃は鎌倉幕府(南朝の大江氏を招いた)と近かった九条藤原氏の子孫といった具合なんだ。

表からは退いたけど細川護煕氏は近衛藤原氏と細川源氏の血を引いている。まぁ、西園寺藤原氏と近衛藤原氏については、特に言う事はない。むしろ彼らを「君側の奸」と断じた軍人・右翼のやり口こそ侵略者・騎馬民族的だ。


近現代においてすら藤原氏の影響力がとても強いのです


解説からの引用が多くなってしまったけど、やっぱ歴史は面白い!!


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プロフィール

ねおち

Author:ねおち

北海道帯広市出身
愛知県岡崎市在住


【略歴】
北海道帯広柏葉高等学校卒業
空手家

水商売からCocktail&PastaのBar経営を経てプログラマーへ転身
現在は年中夢求


趣味:PCいじり、読書(主に歴史関係)

錬心舘空手初段、銃剣道初段



「六月火雲飛白雪」
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